美人すぎる唎酒師 野口万紀子の日本酒のいろは
第四十四話 日本酒のナチュール「生酛」

きき酒師
野口 万紀子

今回は、日本酒の中でも私自身が一番好きな生酛のお酒についてお話したいと思います
近年、日本酒業界には様々な個性のある日本酒が登場しています。ワインの業界ではだいぶ前からナチュール(自然派)のジャンルが人気を集めていますが、日本酒におけるナチュールといえば、おそらく生酛がそれにあたるのではないかと私は思っています。

そして生酛は日本に昔から伝わる手法で、一度は失われかけた酒造りですが、新たな形で年々取り組む酒蔵が増えてきています。

私が生酛のお酒を好きな理由はコレ!

1)濃醇で深いコク
自然の乳酸菌によってできたお酒で、通常の何倍もの時間をかけ低温で造られるため、簡単な製法では得られない味の厚みが好きです。ワインに通じるような構成感が特徴

2)ふくよかな香り
バナナやメロンなどフルーティーな吟醸酒の香りに対して、生酛の香りの特徴は炊き立てのお米がベース。アーモンドや生クリーム、杉の木の様な深みのある香りが好み

3)料理との合わせやすさ
旨味成分がしっかりしていて酸のある味は、お料理と合わせやすいので食中酒に向きます。水っぽくなってお食事に負けてしまうことがないので、出汁や油を使った料理にも幅広く相性が良いです

4)最もお燗に向くお酒
もともとお燗をして飲んでいた歴史のある日本酒なので、お燗好きの私にはもってこいのお酒です。お燗をすることで、豊潤な味わいがさらに引き立って味わい深くなります

生酛は非常に手間のかかる手法で、生産量が多くないので、見かけたら迷わず購入してしまうほどお気に入りの日本酒です。
ここからは生酛がどんなお酒なのか、詳しくご紹介していきたいと思います。



自然の乳酸菌を使った江戸時代のスタンダード


自然の乳酸菌を使った画期的なお酒生酛の「酛」とは、まさに日本酒の種のような意味を持っています
蒸した米と水、麹を仕込んだところに酵母を繁殖させることでアルコールが生成されるのですが、これが「酛(酒母)」と言われています。 出来上がった「酛」を大きなタンクに移して、蒸した米と水を3回に分けて徐々に加えてもろみができます。このもろみを絞ったものが、やっと日本酒となるのです。

生酛造りの歴史は長く、室町時代には生酛の基となる手法が確立されていました。奈良市の興福寺大乗院の末寺にあたる菩提山正暦寺で造られた「菩提泉」は名酒で、この頃から生酛系の酒母は、美味しい日本酒の鍵となることがわかっていたようです。

この手法の画期的な点は、白米を水につけておいて、その中に発生する乳酸菌を利用することです。乳酸菌は乳酸を生成するので、雑菌の侵入を防止する効果があります。その乳酸水を仕込み水として蒸米、麹と一緒に仕込めば、酵母が増殖して日本酒ができるという仕組みです。

「酛」の造り方は時代とともに変遷しています。乳酸菌を使った新しい形の日本酒「菩提泉」が登場してから、江戸時代以降には「菩提酛」となり、残暑の残る初秋の頃など温暖な季節の酒母作りに便利でしたが、高温で仕込むことで有害菌が繁殖しやすくなるため姿を消します。

明治時代には生酛造りを省略化した「山廃酛」、現在の主流である「速醸酛」と移り変わってきました。
現在私たちが飲んでいる日本酒のほとんどは、仕込み水、麹、蒸した酒米に酵母と醸造用の乳酸を加えた「速醸酛」ですが、これに対して生酛は、天然の乳酸菌や酵母などの微生物の力で醸すのが特徴

発酵が何なのかわからない時代に生まれた、まさに日本酒界のナチュールとも言える手法なのです。


蔵着き微生物が関わるオンリーワンの酒造り


生酛は冬の厳しい寒さを利用する方法でもあり、江戸時代初期には「寒造り酛」として酒造りのベースとなっていました。無数の微生物が発生している中で、生酛系酒母はなぜ乳酸と清酒酵母だけを自然に選択的に培養することができるのでしょうか。

蒸した米と麹、水を仕込むと硝酸還元菌が水中の硝酸塩を還元して亜硝酸を作り始めます。ややタイムラグが発生しつつ、低温性の有用乳酸菌が増殖を開始し、乳酸を作り始めます。仕込みから一週間くらい経つと亜硝酸と乳酸が共存して、相乗効果によって自然に入ってくる野生酵母などの有害微生物が死滅します

乳酸菌は亜硝酸に育成を阻害されず、硝酸還元菌は乳酸に弱いので、乳酸菌の増殖に伴って硝酸還元菌は死滅し、亜硝酸も死滅していきます。さらに乳酸菌は酸に弱いので、自らが生成した酸によって死滅していきます。

こうして酒母の中は強い酸性となって、酒造りに好ましくない有害微生物は淘汰され、糖分やアミノ酸が蓄積されます。生き残っていた乳酸菌は、酵母から生成されるアルコールによって消滅し、最終的に多量の乳酸と清酒酵母だけが残って、酒母が完成するのです

ややこしいお話をしましたが、つまりは、様々な微生物のリレーによって、その後タンクで仕込むもろみ造りに必要なパワーのある純粋な酵母が出来上がるということです。単に、弱い菌が淘汰されて強菌が生き残るといったサイクルではなく、微生物がバトンを渡し繋いで酒を醸す神秘的な造りになっているのです。

ちなみに生酛系酒母を造る場合、仕込みから3〜5日間の期間は温度を低温に保つ必要がありますが、何らかの原因で温度が高くなってしまうと、乳酸の少ない酒母になってしまいます。このような酒母は、雑菌の淘汰が不十分なので、最悪の場合は腐敗を引き起こしてしまいます

気温が高くなってしまう原因は、暖冬など気候的な問題の他に「場所癖」と言って、蔵の建築上北風が十分に入らないとか、タンクの近くの壁に熱が伝導しているなどが挙げられます。この場合、原因が特定できれば改善できるのですが、タンクなどの問題となる「容器癖」の場合は原因不明のことも多かったようです。

当時、醪の腐敗は大変な問題で、資産家の醸造家であっても持ち堪えることができずに、責任を感じて自害する人までいたそう。それだけに、様々な問題をくぐり抜けて完成した生酛のお酒は貴重だったと考えられます


なぜ今生酛なのか?NEWスタイルの登場

このように江戸時代に定番化した生酛ですが、その造りにこだわって造り続けてきた酒蔵も昭和40年代後半ごろ、日本酒が一番売れていた頃には姿を消しています。ここ20年ほど前から、一度は消えかけた日本酒造りを復活させようと取り組みを始める酒蔵が増えてきました。昔ながらの木樽や桶を使って醸したり、微生物の働きの研究を進め先進的な酒造りに挑む酒蔵も。速醸系と掛け合わせた新しいタイプの生酛なども登場し、生酛は日本酒業界で再復活を果たすことになりました。

蔵に住み着く微生物が関与しているので、同じように造っても同じ日本酒には仕上がらないという製造方法の特徴から、生酛を復活させようとする蔵人は、先人から受け継がれた木樽で造ってみたり、今では使われていない酒米を復活させようと試みたり、様々なチャレンジを遂げています

その味の深さはワインに負けていないことからも、今では海外の人気も高い生酛。精米歩合などのスペックでは測りきれないその味の特徴は、しっかりとした骨格を感じる芳醇さです。

微生物の変異によってもたらされる、手の込んだ旨味は生酛ならではの味わい。ココナッツや木の様な深みのある香りも私が好きなポイントです。近代製法の日本酒とは明らかに異なる味わいを感じることができます

飲み方の特徴としては、もともとお燗で飲んでいたお酒なので、最も燗に向くお酒と言われていますが、最近の生酛は生酛でも香りを強調した日本酒も多く登場しています。そういった場合はお燗の温度を上げすぎてしまうと、風味のボリューム感が強くなりすぎてしまうことも。そんな時は通常よりも低めの温度でお燗をするとバランスが良いです。

反対に、旨味成分の少ない淡麗タイプの日本酒は、お燗にすると水っぽくなってしまって、アルコール感がツンときつくなりやすいので冷やか常温がおすすめです。


~最後に~


今回は私が好きな生酛の日本酒についてご紹介しました。その蔵ならではの味わいを造り出すそのロマンが、一度は消えかけた生酛にチャレンジする蔵元のエネルギー源となっている様です。日本酒のナチュールと言われる生酛ですが、しっかりと人の手がかった、自然発酵では造れないお酒ということがお分かりいただけたら幸いです。

ぜひ、見つけたら飲んでみてくださいね!

素敵な日本酒ライフを♡︎
文:野口 万紀子

プロフィール

野口 万紀子
株式会社 5 TOKYO 代表取締役
きき酒師 / クリエイティブディレクター

東京都目黒区生まれ。女子美術短期大学卒業後、モデル、スカウトにより芸能活動を始め、8年ほどレースクィーン・モデル業を務める。外資系仏ラグジュアリーブランド、融資コンサル会社等での経験を経てた後、ライター業へ転身。日本のおもてなしについて興味を持つようになり、パーティーコーディネートのトータルプロデュースについて学び、きき酒師の資格を取得。2017年、株式会社 5 TOKYOを設立。現在では『日本酒 × ファッション・アート・伝統文化」といった、日本文化の新しい楽しみ方をプロデュースしている。日本酒イベントの企画運営や飲食店における日本酒コーディネート、セミナーや講演会への出演、執筆などを中心に活動中。最近ではTV、ラジオ、雑誌など様々なメディアにも多く出演している。

<取得資格>
SSI認定 きき酒師 (認定番号 No.042210)
SSI認定 日本酒ナビゲーター (認定番号 No.9338)
WSET LEVEL1 AWARD IN SAKE (認定番号 No.201039812417)
日本野菜ソムリエ協会認定 パーティースタイリスト
公益社団法人 神奈川県食品衛生協会認定 食品衛生責任者

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ライター紹介

アーティスト
上宮 三佳(かみやみか)

群馬県出身。ぐんまの地酒大使
Piano&Vocalユニット「Sunray in Rain(サンレイ イン レイン)」のVocal、モデル、ライターとして活動中。日本酒好きが高じてユニットオリジナル曲「日本酒のうた ~二つで一つだね~」をリリース。

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きき酒師
野⼝ 万紀⼦

株式会社 5 TOKYO 代表取締役
きき酒師、クリエイティブディレクター。『日本酒 × ファッション・アート・伝統文化」といった、日本文化の新しい楽しみ方をプロデュースしている。

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ミツワネットショップ
店長荒井

ミツワネットショップ店長
有限会社ミツワ酒販 代表取締役
創業以来四十余年、食の安全、美食へのこだわりをモットーに、関東中心に約700軒の小売店様への酒類、食品類の卸業を行っている。